歩けることよりも良いものが・・
「イエス・キリストの名によって」(使徒言行録 3:1〜10より)
お読みいただいた聖書の箇所は、足の不自由な男が使徒ペトロによって癒された記事である。このところから、わたしたちの教会が果たすべき責任とは何なのかをご一緒に学びたい。
使徒言行録は、2章においてペンテコステの出来事つまり聖霊降臨について、世界に初めての教会がエルサレムに誕生したことについて語っている。主イエスが復活されてから50日目のことである。主イエスは、十字架の死を遂げてから三日目の朝に復活された。そして40日間に亘って弟子たちの間に現れ、確かに復活されたことを示された。ある時は、神の国の説教によって、ある時は、食事を共にすることによって、からだを持った復活であることを示され、弟子たちの復活信仰を堅いものにされた。そして昇天し、10日後のペンテコステに約束された聖霊が下ったのである。
聖霊が人間の歴史の中に下ったのは、約2000年前のペンテコステが最初であった。聖霊は、父なる神、子なる神と同様、真の神であるから永遠の昔から存在しておられた。しかし、ペンテコステまでは直接人間にみわざをなさることはなかった。父なる神と子なる神を通してなさっておられた。そのお働きは人間に対して間接的であった。初めて、直接的にわたしたち人間に働かれたのはペンテコステ以後であった。そして、その最初のみわざが教会を建設することであった。教会という群れを形成されたのである。以後、聖霊は今日まで教会を通して働かれ、主イエスが成し遂げられた罪の贖いと赦しと復活の生命をわたしたちのものにしてくださっているわけである。21世紀に生きるわたしたちは、最初の弟子たちが受けた救いと同じ救いを受けているのである。地理的にイスラエルから遠く離れ、時間的に2000年以上も経っている。しかし、本質的に全く変わりない救いをわたしたちは、聖霊なる神によって教会を通して与えられている。主イエスは、最後の晩餐の席で弟子たちのために祈られたが、その祈りの中で「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました」と言われた。主イエスは、ご自分がこの世に生きて存在されるのと同じこととして、弟子たちつまり教会のこの世における存在の意義を語っておられる。約2000年前に神の独り子である主イエス・キリストが、誕生し、生きて救いのみわざをなしたと変わりなく、キリストのみわざが教会を通してなされているのである。教会が建てられているということは何と大きな恵であろう。前置きが長くなってしまった。
Ⅰ ユダヤ教の中で出発した
さて、お読みいただいた個所は、2:43-47を受けていると言われる。つまり、最初の教会がなした活動の具体例として記されている。著者ルカは、原始教会の働きの典型的例として記したのである。
この出来事は、使徒ペトロとヨハネとが午後3:00の祈りの時に神殿に上ったことから始っている。この「午後3:00の祈りの時」とは、ユダヤ教の習慣で、この他に午前9:00と正午とで一日3回神殿に行って祈りをささげなければならなかった。ペトロもヨハネも、すでにキリスト者になっていたが、守り続けていたわけである。この事実は、当時のキリスト者は一気にユダヤ教の習慣を完全に捨て去っていなかったことを示している。従って、土曜日の安息日も守っていたであろう。しかし、後にユダヤ教の習慣から離れ、完全に日曜日に礼拝を守るようになった。このことは、仏教的慣習の中で育ったわたしたち日本人がキリスト者になるという時に経験することである。一気に、すべてキリスト教的になるわけでなく徐々に変えられて行くことだからである。
話は少しずれるが、明治時代に、あまり有名ではないが、田中 達という仏教の高僧がいた。こんな文章を残している。「モーゼ教をキリスト教に比し来れば、素より不完全なりといえども、イスラエル人の準備の時代には、キリスト教に優りたる宗教なりしなり。仏教また2千年来の東洋国民のために、キリスト教の来らざる以前にありては、キリスト教に代わりて、幾分の慰め、希望奨励を国民に及ぼしたるは、わが輩の明らかに認るところにして、またこれを仏教に謝せざるを得ず。されど今やわが国民はまさにキリスト教を歓迎せんとす。仏教すべからく勇退すべきなり」と。
Ⅱ 生まれながら足の不自由であること
ペトロとヨハネが、神殿に入ろうとして「美しい門」と呼ばれる門前に来てみると生まれながら足の不自由な男が施しを乞うていた。4:22には、40歳過ぎであったとある。足が不自由でなければバリバリ働くことのできる人であった。
この「美しい門」の側にいたことを語るのに聖書は「すると」という言葉を用いている。この「すると」は、単なる接続詞ではない。これは、この場の緊張した状況を現わしている。40年間、施しを乞うて生きて来なければならなかったこの男の人生を誰も変えることはできなきなかった。使徒ペテロもヨハネもやはりこれまでの多くの人と同じようにいくらかのお金をめぐんで通り過ぎるのだろうか。それとも、これまで誰もできなかった施しを乞う人生を変えるのだろうか。ペトロとヨハネは、そういう重大な課題の前に立たされたのである。さて、この男は、二人を見てこれまで誰に対してもしてきたように施しを期待した。ところが、ペトロとヨハネは、他の人々と違った。二人は、この男をまともに見たからである。それだけでない。男に自分たちを見ることを求めた。普通、施しを乞う人に出会ったらやっかいな人に会ってしまったと思い、まともに見ないで器にいくらかのお金を入れて、早くその場を離れるであろう。しかし、ペトロとヨハネは違った。お金をめぐんでもらうことしか考えていない男は、施しへの期待がいよいよふくらんだ。
この男は、ごく普通の人間を代表していると言ってよい。お金持ちになりたい。お金さえあれば、幸せな生活が送られる。お金でないにしても、この世が与えてくれるものに確かさを求めてしまう。わたしたち、生まれながらの人間の姿をこの男に見るのである。
Ⅲ イエス・キリストの名によって
お金を期待している男をじっと見つめながら、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と。「ナザレ人イエス・キリストの名」とは、イエス・キリストのご人格とそのみわざの固有のものを表している。十字架による罪の赦しと復活の命である。主イエス・キリストの名によって、生まれつき不自由な足が癒され、立って歩くことができるようになった。ここで注目したいのは、「立ち上がる」という語は、「復活する」と同じ語であるということである。この男は、罪の赦しと復活の命が与えられたということである。単に、障碍者が健常者になったということではなかったのである。救われたのである。そのことが分かるのは、この後の彼の行動である。
① 二人と一緒に神を讃美しつつ、礼拝のために神殿に入っていった。いつもは、手前で施しを乞うていた人であった。神を讃美することとは全く関係のない生活をしていた。
② 11節には、「付きまとっている」とある。単なる癒しであるならば、立ってあるくことができるようになったのであるから、ひとこと、礼を言って家に帰るであろう。しかし、彼は二人から離れなかったのである。二人といたら迫害が十分予想されるのにもかかわらず、行動を共にするのである。一切の打算を超えた世界を知ったのである。
イギリスの19世紀の伝道者ジプシー・スミスという人はこの個所の説教を残している。その中の一節を引用したい。「足の不自由なこの憐れな男は、言うまでもなく、その願ったものよりも多くのものを得た。彼は、施しを求めて、主イエスは彼に足を与えられた。これはまことに驚きである。主イエスは、常に、われわれの求めるよりも多くのものを与えられる。あなたもわたしも永い年月の間、主イエスを愛そうと努めて来た者にとって、一日一日は喜ばしい驚きである。われわれは、立っているのでなくて、歩んでいると知った。われわれは歩んでいるのでなくて走っているのだと悟った。兄弟よ、あなたの福音に生きよ、そうしたとき、あなたの周囲にいる足の不自由な人々は、あなたの手に触れて、そこから彼らはやがて十字架に尊く愛の鼓動をつかみ得るであろう。この十字架こそ全世界を救うに十分の力あるものだ」と。教会は、この世が求めているもの以上のものを与える使命がある。これを忘れてはならない。
この礼拝に初めてお出でになった方、あるいは求道中の方がいらっしゃるでしょうか。そのような方々に申しあげたい。教会に何度か来ているうちに、現実の教会は、外で想像していたのとは大分違うことが分かってくる。そのとき、自分の求めているものが与えられないことを不満として立ち去る者もあれば、教会が与えようとしているものが、自分の求めていたもの以上のものであることに気づく者もあるということである。これが、キリストの救いに与るかどうかの最初の岐れ道である。この岐れ道に求道者を立たせる教会こそ真の教会である。
引退教師のこの説教をお聴きして、歩けなくなって病院で寝たきりの夫に、歩けることよりも良いものが与えられているのかも知れない、と思った。夫に、そして私に・・。
吾を思(も)ふ君の思ひのキラキラときらめき見ゆる過ぎしを照らして
『コレラの時代の愛』と「コロナの時代の・・」
時間が遅々として進まないように思える。永遠にこの状態が続くようにさえ思える。それでいて様々な煩いが四方から押し寄せてくる。
主よ、いつまでなのですか。(詩編6:4 聖書協会共同訳)
主よ、悪しき者はいつまで
悪しき者はいつまで勝ち誇るのでしょうか。(詩編94:3)
神のように天上から下を見下ろすと、カルタヘーナ・デ・インディアスの由緒ある英雄的な町の廃墟が見えた。そこは三世紀にわたってイギリス人の攻撃と海賊の暴虐に耐えぬいてきたが、猛威をふるうコレラには勝てず、住民によって見捨てられた世界一美しい町だった。城壁は無傷で、通りにはキイチゴが生い茂り、要塞は三色スミレに覆い尽くされ、金の祭壇のある大理石の宮殿には甲冑姿のまま疫病によって腐り果てた歴代の副王たちが眠っていた。
(略)
それまで望遠鏡で地上の様子を観察していた軽気球の操縦士がぽつりと言った。《死体のようですね》。そしてフベナル・ウルビーノ博士に望遠鏡を渡した。博士が畑の間の牛車や鉄道の線路の柵、水の涸れた灌漑用の水路などを眺望したところ、あたり一面に死体が転がっていた。大沼沢地の町々にもコレラの被害が出ているんですね、と誰かが言った。ウルビーノ博士は望遠鏡を目から離さずに言った。
「だとすると、非常に特殊なコレラでしょうね。どの死体にも、首筋のところに止めの一撃の跡が見えますからね」(ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』p328~329より)
永遠に続くかと思われる戦争の時代にも、コレラの時代にも、そしてコロナの時代にも、主は共におられる。
神の御言葉によって・・
2月22日未明、救急車で運ばれ、午前3時の時点で人工呼吸器をつけて延命措置に入った。帰る前にSCUに入り、「エレミヤ、楽しみにしていたからね(「ローマの信徒への手紙が終わったら、エレミヤ書を礼拝でやりたいと思っている」と話していたのだった)。頑張って戻ってきてよ」と声をかけて帰った。
病院の裏口を出ながら、このまま死にたいと思った。
子どもの頃から、死にたい、死にたいと思いながら生きてきた。
最後の祈り会でしたこの説教を読み返していた。
しばらく前に、山上の説教の中に「苦しむ人」について語られていただろうか?と思い、新しい訳の聖書も見てみたが、なかった。しかし、新しい訳の詩編では、「苦しむ人を」と訳されていると言っている。
主はご自分の民を喜びとし、苦しむ人を救いによって輝かせる。(詩編149:4 聖書協会共同訳)
娘が生まれてアトピー性皮膚炎だと分かり授乳中に厳しい除去食をして体を壊した。娘が大人になってからのこの10年、ステロイドの副作用でアトピーは悪化した。それに加えて夫の病気が追い打ちをかけた。私は娘の苦しみを見て苦しみ、夫はそんな私を見ては苦しんでいたのだ。
山上の説教は昔から、聴いても聴いても分からないと思っていた。
なぜ、貧しい人が幸いなのか?
なぜ、悲しむ人が幸いなのか?
理解できない、と。
夫が倒れてすぐに、教会の長老方に、「主人が亡くなっても、主人の残した過去の説教を礼拝で使って下さい。それで、私たちを後3年だけここに置いてください」とお願いした。これは、私自身と娘の生活を守るためだったのだが、そうではなく、私自身が夫の説教を読み返す時を得るためだったのだ、と今では思う。
夫の語った神の御言葉によって、今、私は生きている。
失うのが怖かったから・・
失うのが怖かったから自分から離れていこうとしていたのだ。
4月初めから微熱が続いていたようで、30日、病院から呼び出しがかかった。今後の主治医の治療方針を聞いた後、「この後、10分間だけ会って頂きます」と言う。これが最後かも知れないから会わせてくださるんだな、と思う。
こちら側に引き止めないと、と思い、「あなたがいなくなったら私も生きていけないよ」と言うと、(自分では動かしているつもりかもしれないが)動かせない舌を懸命に動かそうとしながら、何か怒っているように息も荒く話しかけようとしている。
それから10分、何もすることが出来ないから腕をさすっていると、息も穏やかにまどろみはじめた。
失うのが怖かったから、自分から先に離れようとしていた。
父と母が別れているから、母が生きているうちは絶対に別れない、と心に決めていたが、逆に母が生きている間、私はいつも夫に「別れて欲しい」と言っていた。
傍にいて、仕事の事で苦しんでいるのを見ているのが辛かった。いつか自ら死を選ぶのではないかと恐れていた。それならいっそ、こちらから先に離れていく方がいい。
だけど、私がいつもいつもこんなことを言っていたから、「少しでも僕の方が先に死んで君を自由にしてやれたらいいなぁ」と言っていたんだ。私は夫を二重に苦しめていたんだな。だから、怒って何か言おうとしていたんだ。
「本当の苦しみは愛するものからやって来る」(小林秀雄)のだ。
人間は一人ひとり、切り離された個人として生きています。
でも、自分で思うよりずっと、人間は他者や外界とつながって生きているところがあります。
パートナーとの出会いや子育てなどを通して「人が変わった」と言われるほどの大変容を遂げる人もいれば、大切な人を失って深く傷つき、長いあいだ立ち直れなくなる人もいます。
もし私たちが本当に「他者と切り離された、個」として生きているなら、これほどまでに他人の意見を気にし、他人の存在や生死に、人生を一変させられることはないはずです。(石井ゆかり=著『3年の星占い 蟹座』(すみれ書房)より抜粋)
いつか自ら命を絶つと・・。
夫もいつか自ら命を絶つのではないかと、私はずっと恐れていたのだ、きっと。
いつの間にか、居場所になっていたのだ、この人の傍らが・・。
『コレラの時代の愛』と葛原妙子「たしかめがたくうすらなる人」
フェルミーナ・ダーサはフロレンティーノ・アリーサのことを考えて明け方までそこに座り続けた。彼女が思い浮かべたのは、思い出してもべつに懐かしいとも思わないロス・エバンヘリオス公園で陰気な歩哨のように立っていた彼ではなく、年老い、足をひきずっている、今ここに存在している彼のことだった。いつでも手の届くところにいるのに、そこにいるとは分からない彼のことだった。(ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』)
葛原妙子の歌、「南風のしづまる街にかたへなるたしかめがたくうすらなる人」については、「葛原妙子15 - 風と、光と・・・」でも書いてきたのだが、『コレラの時代の愛』の「いつでも手の届くところにいるのに、そこにいるとは分からない彼のことだった」と、「たしかめがたくうすらなる人」とは、同じキリストを表していると思われる。
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
(略)
二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。(ルカによる福音書24:13~16、29〜31)
彼女たちが途方に暮れていると、輝いた衣を着た二人の天使が現れました。彼女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せました。天使たちは語りかけます。「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。」これがルカによる福音書の証言の核心です。
罪の元々の意味には「的外れ」という意味がありますが、まさにこれです。彼女たちは、復活したイエスを墓の中、死者の世界に探します。彼女たちは、イエスが復活するなど考えられませんでした。この間違いをわたしたちもしてしまいます。キリストの救いに与ったのに、キリストと共にあることを忘れて、罪の世に留まり、罪がもたらした死の世界で、今も生きておられる復活の主イエスを探して、主がおられないと途方に暮れてしまいます。イエスが死の世界を打ち破られたのに、イエスと共に死の世界を抜け出さないで、死の世界でイエスがおられないと戸惑ってしまうのです。