神の御言葉によって・・

2月22日未明、救急車で運ばれ、午前3時の時点で人工呼吸器をつけて延命措置に入った。帰る前にSCUに入り、「エレミヤ、楽しみにしていたからね(「ローマの信徒への手紙が終わったら、エレミヤ書を礼拝でやりたいと思っている」と話していたのだった)。頑張って戻ってきてよ」と声をかけて帰った。

病院の裏口を出ながら、このまま死にたいと思った。

子どもの頃から、死にたい、死にたいと思いながら生きてきた。

 

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最後の祈り会でしたこの説教を読み返していた。

しばらく前に、山上の説教の中に「苦しむ人」について語られていただろうか?と思い、新しい訳の聖書も見てみたが、なかった。しかし、新しい訳の詩編では、「苦しむ人を」と訳されていると言っている。

 

主はご自分の民を喜びとし、苦しむ人を救いによって輝かせる。(詩編149:4 聖書協会共同訳)

 

娘が生まれてアトピー性皮膚炎だと分かり授乳中に厳しい除去食をして体を壊した。娘が大人になってからのこの10年、ステロイドの副作用でアトピーは悪化した。それに加えて夫の病気が追い打ちをかけた。私は娘の苦しみを見て苦しみ、夫はそんな私を見ては苦しんでいたのだ。

 

山上の説教は昔から、聴いても聴いても分からないと思っていた。

なぜ、貧しい人が幸いなのか?

なぜ、悲しむ人が幸いなのか?

理解できない、と。

myrtus77.hatenablog.com

夫が倒れてすぐに、教会の長老方に、「主人が亡くなっても、主人の残した過去の説教を礼拝で使って下さい。それで、私たちを後3年だけここに置いてください」とお願いした。これは、私自身と娘の生活を守るためだったのだが、そうではなく、私自身が夫の説教を読み返す時を得るためだったのだ、と今では思う。

 

夫の語った神の御言葉によって、今、私は生きている。