『コレラの時代の愛』と「コロナの時代の・・」

時間が遅々として進まないように思える。永遠にこの状態が続くようにさえ思える。それでいて様々な煩いが四方から押し寄せてくる。

 

主よ、いつまでなのですか。(詩編6:4 聖書協会共同訳)

 

主よ、悪しき者はいつまで

悪しき者はいつまで勝ち誇るのでしょうか。(詩編94:3)

 

 

 神のように天上から下を見下ろすと、カルタヘーナ・デ・インディアスの由緒ある英雄的な町の廃墟が見えた。そこは三世紀にわたってイギリス人の攻撃と海賊の暴虐に耐えぬいてきたが、猛威をふるうコレラには勝てず、住民によって見捨てられた世界一美しい町だった。城壁は無傷で、通りにはキイチゴが生い茂り、要塞は三色スミレに覆い尽くされ、金の祭壇のある大理石の宮殿には甲冑姿のまま疫病によって腐り果てた歴代の副王たちが眠っていた。

(略)

それまで望遠鏡で地上の様子を観察していた軽気球の操縦士がぽつりと言った。《死体のようですね》。そしてフベナル・ウルビーノ博士に望遠鏡を渡した。博士が畑の間の牛車や鉄道の線路の柵、水の涸れた灌漑用の水路などを眺望したところ、あたり一面に死体が転がっていた。大沼沢地の町々にもコレラの被害が出ているんですね、と誰かが言った。ウルビーノ博士は望遠鏡を目から離さずに言った。
「だとすると、非常に特殊なコレラでしょうね。どの死体にも、首筋のところに止めの一撃の跡が見えますからね」(ガルシア・マルケスコレラの時代の愛』p328~329より)

 

 

永遠に続くかと思われる戦争の時代にも、コレラの時代にも、そしてコロナの時代にも、主は共におられる。