ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』断想

『コレラの時代の愛』と、娼婦ラハブ

母親は息子の状態が恋の病というよりもコレラの症状に似ていたので恐慌をきたした。同種療法を行っている老人がフロレンティーノ・アリーサの名親になっていたが、トランシト・アリーサは人の囲いものになって以来、何かにつけてその老人に相談を持ちかけて…

『コレラの時代の愛』と「コロナの時代の・・」

時間が遅々として進まないように思える。永遠にこの状態が続くようにさえ思える。それでいて様々な煩いが四方から押し寄せてくる。 主よ、いつまでなのですか。(詩編6:4 聖書協会共同訳) 主よ、悪しき者はいつまで 悪しき者はいつまで勝ち誇るのでしょうか…

『コレラの時代の愛』と葛原妙子「たしかめがたくうすらなる人」

フェルミーナ・ダーサはフロレンティーノ・アリーサのことを考えて明け方までそこに座り続けた。彼女が思い浮かべたのは、思い出してもべつに懐かしいとも思わないロス・エバンヘリオス公園で陰気な歩哨のように立っていた彼ではなく、年老い、足をひきずっ…

『コレラの時代の愛』から「愛はいつ、どこにあっても愛であり、・・」

フェルミーナ・ダーサは息子の嫁とは仲良くしていて、気のおけない仲だったので、元気な頃のような強い言葉で胸のうちを打ち明けた。《一世紀も前の話だけど、昔あの気の毒な人と付き合っていたときは、若すぎるというので、何もかもぶち壊しにされて、今度…

ソーニャを・・ー ドストエフスキー『罪と罰』

私は、『罪と罰』を読む前から、ドストエフスキーはソーニャをキリストとして描いていると考えていた。そして『罪と罰』について書き始めてからもそのことを証明しようとするようにして書いてきた。けれど書きながら、予想とは違ったところへと着地するだろ…

ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』ーマルケス断章

「わたしがお前をどれほど愛していたか、神様だけがご存じだ」(ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』) 本を読んで涙を流したことはこれまでにもあったが、本を抱きしめたいと思ったことはなかった。 台所で夕食のスープの味見をしていたフェルミーナ・ダ…

『コレラの時代の愛』と、肉体を持つということ

彼女は浣腸をするときに手伝い、先に起きて、眠っている間はコップに入れてある入れ歯を磨いてやった。(ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』p497) 赤ん坊となってこの世に生まれて来られたイエスはお襁褓もかえて貰い、体も洗って貰っただろうが、『コ…

『コレラの時代の愛』と「あなたは…わたしのために体を備えてくださいました」(ヘブライ人への手紙10:5)

素裸の遺体は硬直し、奇妙な具合によじれていた。目は大きく見開かれ、身体は青黒くなり、昨夜会ったときより五十歳ばかり老け込んだように思われた。瞳孔は透き通り、ひげと髪の毛は黄ばんでいて、縫合の跡が見えるごつごつした古傷が腹部を横切っていた。…

『コレラの時代の愛』と「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」(ヨハネ福音書1:14)

ふと、アメリカ・ビクーニャのことを思い出して、胸を刺し貫かれるような痛みを感じて身をよじった。これ以上真実に目をつむっているわけにはいかなかった。彼はバスルームに閉じこもり、ゆっくり時間をかけ心ゆくまで泣きつづけた。そうしてはじめて彼は、自…

『コレラの時代の愛』とビクーニャ(ラクダ科)

名前をアメリカ・ビクーニャといった。家族のものは遠縁にあたるフロレンティーノ・アリーサを身元引受人にして、二年前に彼女を漁村のプエルト・パードレから彼のもとに送り出した。(ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』) ビクーニャはラクダ科の生き…

『コレラの時代の愛』と「ラーハム=子宮から広がる思いやり」

主よ、あなたの憐れみは豊かです。(詩編119:156) 「慈しみ」や「憐れみ」を表す言葉で良く聞くのは「ヘセド」という言葉だが、156節の「主よ、あなたの憐れみは豊かです」の「憐れみ」は、「ラーハム」というヘブライ語で、辞書には「胎児をかわいがるよう…

『コレラの時代の愛』とローマ人への手紙7章1~4節

ローマ人への手紙7章1節から3節までの聖書朗読を聞いて、ガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』の一節を思い浮かべた。 先ず、ローマ人への手紙から引用する。 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るので…

『コレラの時代の愛』からティリッヒ神学へ

「これがどういうものなのかずっと分からなかったんです」と彼女が言った。 彼はいちいちその場所に彼女の手を導きながら、教師のように生真面目に説明してやり、彼女は彼女で模範的な生徒らしくおとなしく言いなりになっていた。頃合を見て彼は、明かりをつ…