どこに愛があるというのか!ー『百年の孤独』3

このところ世界各国で同性婚が取り上げられてきているが、『百年の孤独』の最初から最後までを貫いて横たわっているのは近親婚の禁忌である。

 

古い集落で共に育ったホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランはいとこ同士で結婚するが、母親から、生まれてくる子供についての不吉な予言を聞いたウルスラは、「前のところが頑丈な鉄の尾錠で締まるようになって」いるズボンを履いて抵抗する。「結婚して一年にもなるのに、夫の不能のせいでウルスラはまだ生娘のままだという風評が立った」ある日、アルカディオは嘲った一人の男を殺してしまう。これが発端となって、二人は数人の者と一緒に集落を出、新天地に向かうのだ。

それがこの物語の舞台となるマコンドだ。

 

百年の孤独』の最初から最後までを貫いて近親婚の禁忌が横たわっていると言っても、マルケスが近親婚をタブー視しているというわけではない。むしろ、「生まれてくる子供についての不吉な予言」のために頑なに身を守ろうとするウルスラのあり方に、またその延長線上にある家を守るための闘いに、問いを投げかけているという風に思える。

しかし、と言って、マルケスが近親婚を肯定しているかと言えば、そう簡単には言い切れない。

 

籠に入れられて連れて来られたメメの産んだ子が豚のしっぽを持つ赤ん坊の父親となるが、この子供が生まれた時、「この百年、愛によって生を授かった者はこれが初めてなので、これこそ、あらためて家系を創始し、忌むべき悪徳と宿命的な孤独をはらう運命をになった子のように思えた」と記される。しかし「思えた」だから、それは幻想だったと言えるかも知れない。故に、生まれたこの子もまもなく死んで蟻の大群によって引かれていくのである。

そして「愛によって生を授かった」と記された前の頁には、「奔放な交わりから生まれる子供を忠実な愛によって迎えるべく、たがいの手を取り合って最後の数ヵ月をすごした」と記している。「奔放な交わり」という言葉の「奔放な」の前には、「近親婚の禁忌を破った」という修飾が省略されているだろう。こういったところからも、マルケスが近親婚の交わりを愛の交わりとして肯定しているようには到底思えないのである。

 

赤蟻や白蟻や紙魚や雑草から家を守るための太母のようなウルスラの闘いの中にも、歯止めの利かなくなったアウレリャノの叔母との交わりの中にも、マルケスは「愛」を描いてはいない。

 

だから、どこに愛があるというのか!なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

どこに愛があるというのか!ー『百年の孤独』2

…、ある暑さのきびしい水曜日のことだった。籠を持ったひとりの年配の尼僧が屋敷を訪ねてきた。戸口に出たサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダは、てっきりただの届け物だと思い、美しいレースの布をかぶせた籠を受け取ろうとした。ところが尼僧は、フェルナンダ・デル=カルピオ=デ=ブエンディア様にじかに、人目につかないようお渡しせよと指図されている、と言って、断った。メメの子供がはいっていたのだ。(略)フェルナンダは内心、この運命の皮肉ないたずらにかっとなったが、尼僧の前ではそれをおくびにも出さなかった。
「籠に入れられて川に浮いていた、ということにでもしましょう」と、微笑さえふくんで言った。
「そんな話、信じるでしょうか?」尼僧がそう言うと、フェルナンダは答えた。
「聖書を信じるくらいですもの。わたしの話だって信じるはずだわ」
 帰りの汽車を待つあいだに、尼僧は屋敷でお昼をよばれた。くれぐれも粗相のないようにと言われてきたとおり、あれっきり赤ん坊のことを口にしなかったが、しかしフェルナンダは、彼女を一家の恥の好ましからざる生き証人だと考えて、凶報をもたらす使者を縛り首にしたという、あの中世のしきたりが廃れたことを嘆いた。それで仕方なく、尼僧が去りしだい子供を浴槽に沈めようと決心したのだが、さすがにそんな非道なことはできなくて、厄介ものが消える日を辛抱づよく待つことになった。(ガルシア・マルケス百年の孤独』より)

 

フェルナンダが、娘メメの産んだ子を引き取る場面である。

「籠に入れられて川に浮いていた」赤ん坊というのは、もちろん聖書に出て来るモーセ物語を下敷きにしている。

 

この場面には幾重にも痛烈な皮肉が込められている。

 

だから、「どこに愛があるというのか!」、「何を信じているのか!」なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

どこに愛があるというのか!ー『百年の孤独』1

やがて迎えた三月のある日の午後、紐に吊したシーツを庭先でたたむために、フェルナンダは屋敷の女たちに手助けを頼んだ。仕事にかかるかかからないかにアマランタが、小町娘レメディオスの顔が透きとおって見えるほど異様に青白いことに気づいて、
「どこか具合でも悪いの?」と尋ねた。
 すると、シーツの向こうはじを持った小町娘のレメディオスは、相手を哀れむような微笑を浮かべて答えた。
「いいえ、その反対よ。こんなに気分がいいのは初めて」
 彼女がそう言ったとたんに、フェルナンダは、光をはらんだ弱々しい風がその手からシーツを奪って、いっぱいにひろげるのを見た。自分のペチコートのレース飾りが妖しく震えるのを感じたアマランタが、よろけまいとして懸命にシーツにしがみついた瞬間である。小町娘のレメディオスの体がふわりと宙に浮いた。ほとんど視力を失っていたが、ウルスラひとりが落ち着いていて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。目まぐるしくはばたくシーツにつつまれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。
 もちろんよそ者たちは、ついに小町娘のレメディオスも女王蜂としての逃れがたい運命の犠牲になった、昇天の話はでたらめで、身内の者が体面をつくろうためのものだ、と考えた。フェルナンダは激しい羨望に悩まされたが、しぶしぶこの奇跡を認め、当分のあいだ、シーツだけは返してくださるようにと、神様にお願いをしていた。(ガルシア・マルケス百年の孤独』より)

 

 ガルシア・マルケスの『百年の孤独』というと「魔術的リアリズム」という言葉で語られる。引用したこの小町娘レメディオスの昇天の場面も、魔術的リアリズム的描写の代表的なものとしてあげられるのではないだろうか。

しかしこの場面の描写は、これまでどんな書物の中にも見たことがないというような荒唐無稽なものではない。ちょっと聖書を読んだことがある者なら、ここから次のような箇所が連想されるはずである。

 

彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。(列王記下2:11)

聖書の中には死なないで天に上げられる者が出てきたりするのである。

 

ガルシア・マルケスは幼少期に祖父母から様々な話を聞かされて育ったようだが、中には聖書の物語も含まれていただろうということは容易に想像される。そしてマルケス自身、聖書に精通していたのではないかと私は思う。

ガルシア・マルケスという一人の人間が描いた物語の底に多くの物語が堆積している。この辺りに、マルケスの作品の力があるように思う。

 

しかし、こういった魔術的リアリズムと言われるような描写や場面は読み物としては面白く読めるところだろうが、肝腎なのはそこではないと私は思う。

「しばらくそのまま。これから、神の無限のお力の明らかな証拠をお目にかける」
 そう言ってから、ミサの手伝いをした少年に一杯の湯気の立った濃いチョコレートを持ってこさせ、息もつかずに飲み干した。そのあと、袖口から取りだしたハンカチで唇をぬぐい、腕を水平に突きだして目を閉じた。すると、ニカノル神父の体が地面から十二センチほど浮きあがった。この方法は説得的だった。それから数日のあいだ、神父はあちこちの家を訪れて、チョコレートの力による空中浮揚術の実験をくり返し、袋を持った小坊主に金を集めさせた。おかげで多額の金を得ることができ、ひと月たらずのうちに教会の建設に取りかかった。この公開実験に神の力が働いていることを疑う者はなかったが、ホセ・アルカディオ・ブエンディアだけは別だった。(『百年の孤独』)

 

この場面なども魔術的リアリズムを言及するために取り上げられる箇所だと思うが、マルケスはここで、「信仰とは何か」を問うているのだ。ここに続く場面には、「神父は自分の信仰が心配になり、その後は二度と彼のもとを訪れようとしなかった」と出て来る。風刺や皮肉がこめられていると言っても良い。

 

マルケスが問題にしているのは、伝統的な組織の中にある教条的で形骸化した、魔術的で歪んでしまった信仰だろう。

 

マルケス無神論の人ではない。信仰を持っていたはずだ。だからこそ、問うのだ。

「信じていると言って、いったい何を信じているのか!」

「どこに愛があるというのか!」

 

(ここで言う「信仰」とは、もちろんキリスト教以外のものではない。)

 

 

 

 

 

 

 

 

死と同じくらいに自分ではどうすることも出来なかったーマルケス断章

お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。(ホセア書6:4)

ドストエフスキーが愛せないと苦しんだ時、そこには死が立ちはだかっていただろう。けれど、私が愛せないと苦しんだのは、そんな高尚なものではなかった。

 

振り返ると、すぐ目の前に氷のような眼、蒼白の顔、恐怖で引きつった唇が見えた。深夜ミサの人ごみの中ではじめてそばで彼を見たときと変わっていなかったが、あのときと違って心の震えるような愛情ではなく、底知れない失望を感じた。(ガルシア・マルケスコレラの時代の愛』)

 

自分には愛がないと気付いたのは、中三の秋だった。自ら告白してつき合いだした人の、顔を見るのも嫌になったのだ、半年も経たないうちに。

何があったというわけでもない。例えば夏休みに、京都に哲学の道というのがあると言って出かけ、旅先から毎日葉書を送って寄こす。部活でテニスに明け暮れている私に、(いつもはバカにしているように思えるかも知れないけれど、部活に打ち込んでいる姿に)本当は憧れているんです、等と書いて。

私は小学生の頃からスポーツ根性ドラマは大っ嫌いだったのだ。人に合わせて集団行動するのも嫌いだったのだ。その私に向かって、まるで私がスポーツ根性ドラマの主人公ででもあるかのように、「憧れている」だって?一気に冷めた。

そうして私は、本ばかり読んでないで受験勉強しろと父親に言われたからと言って私の所に持って来た愛読書を、小包で送り返した。

 

死なんて全く立ちはだかっていない。

けれど、死と同じくらいに、この自分の感情はどうすることも出来なかった。

 

それから私は秘かに苦しんできた。ある人は、良い歳になっても結婚出来ない私に向かって、「あなたのお母さんがお父さんと縁を切ったから、あなたは縁遠いのよ」と言ったが、母のせいじゃないだろう。夫の暴力から自分と娘を守るために縁を切ることがそんなに悪いことか!と言いたかったが、何も言わなかった。これは私自身の罪だ。ずっとそう思っていた。

私の育った環境を知る人は、私がキリスト教に向かったのは、淋しかったからだと思うかも知れない。愛を求めて行ったのだ、と。母でさえそう思っている風だった。愛を求めて行ったかも知れないが、愛されることを求めて行ったのではない。

私は、愛したかったのだ。しかしここに、死は立ちはだかってはいない。

 

ガルシア・マルケスの場合は、死から始まっていただろう。初めに「死」というものを見つめていた。

『青い犬の目』の「訳者あとがき」で、井上義一氏は「おそらく若いころのマルケスは死を切実に考え詰めていたのだろう」に続けて、「その一方で個人の生については、遺伝という鎖に結ばれて、遠い過去の先祖とつながっているのだという認識がところどころに表れている」と記している。

しかし私は、この短編集で死んだ者達を様々に登場させながら、マルケスは、死んだ者達が形を変えて今も存在するという自らの結論に納得できていなかったのではないか、と思う。

 

私が読んだマルケスの作品は3作のみなのではっきり言い切ることは出来ないが、『青い犬の目』から『百年の孤独』に至るまでの間に、マルケスは、「死を超えさせる」のは「愛」だと気付いたのではないかと思う。しかし、その愛というものが、見回しても、周りに見当たらない。そしてもちろんマルケス自身の中にも・・。

 

百年の孤独ガルシア・マルケスが描いているのは、一言で言うならば、「どこに愛があるというのか!」であろう。

 

 

 

 

 

 

 

この死ぬべきものがーマルケス断章

ガルシア・マルケスの初期の作品『青い犬の目』という短編集がある。この短編集を読んで一番に頭に浮かんだのが、「死」という文字であった。『百年の孤独』に見られるような豊穣さは全く感じられず、硬く、ひたすら「死」について思いつめているような、「死」についての答を得ようとしているような印象であった。

訳者の井上義一氏も「あとがき」で、「後年の長編『百年の孤独』や『族長の秋』の世界にはこれほど死へのこだわりはない。おそらく若いころのマルケスは死を切実に考え詰めていたのだろう」と書いておられる。


そう、死、なのである。


死はすべての人に及んだ(ローマ信徒への手紙5:12)

この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。(コリント信徒への手紙一15:54)

 

f:id:myrtus77:20180913100215j:plain

ガルシア・マルケス『青い犬の目』(福武書店

 

以下は、老齢の牧師の旧約聖書に聴く」

「コヘレトの言う運命」
 コヘレトの教えを聞いていて不思議に思うことがある。世の中には知者と愚者がいるが、同一の運命が臨む、と言う(2:14)。(中略)
 新共同訳では「両者に同じことが起こる」とあり、「運命」とは訳さない。「起こる」と言う。コヘレトの教えでは、知者にも愚者にも「死」が臨むと繰り返す。運命とは死のことである。人の終わりが死である。この厳粛な事実を誰も否定することはできない。
(中略)
もし、死から救い出す手があるとすれば、神以外には解決者はいない。この基本的な理解のほかに、人はいろいろと考え、教えてきた。一方では死を恐れつつ、その解決と克服の方法を示そうとしてきた。宗教であったり、哲学であったりする。(略)聖書の世界に「運命」というものが入り込む余地はないと思う。「主なる神」に対抗し、張合う別な力や決定者はあり得ない。(略)
 新改訳でも新共同訳でも「運命」という訳語は避けている。誤解されないためであろう。手持ちの他国語の聖書訳には「運命」の意味を含むと思われる単語が用いられている。コヘレトが、万人に定められ、避けることのできない決定的な「死」を「運命」と呼ぶのであれば、受け入れられる。運命論者ではない。抗い得ない状況に襲われ、運命と考える人ではない。どのような事態にも、想像や期待を遙かに越えた明るい明日が用意され、約束されていると信じて待ち望んでいる。彼もまた隠れたキリスト信者である。(後略)(『福音時報』2018年9月号より抜粋引用)

 

 

 

 

 

 

 

「知る」ということーマルケス断章

ある時、夕食の足しにお総菜のカキフライを買って来た。 娘は食べないので、よそい分けもせずに夫と二人で食べるのにパックのまま出した。

タルタルソースを夫は全部のカキフライにかけて、残ったソースを「もう使わない?」と私に尋ねてきた。それで私は、「ソースは、少し囓った後にカキフライの囓り口につけて食べたいから、残しておいて」と言ったのだった。その時の、口がぽかんと開いたような夫の表情が印象的だった。

お店などでカキフライを食べるときは、囓る前に添えられたソースにつけて食べるだろう。ソースがたっぷり添えられているから。けれど、お総菜を買って来た場合には、付いているソースは少量だからそれが出来ない。だから私は、最初から丸ごとのカキフライにソースでもタルタルソースでもかけてしまいたくはないのだ。揚げて時間が経ってべっとりした衣にタルタルソースをかけたいとは思わないのである。

けれど、そんなどうでも良いことを普段は口にしないのだ。だから、そんなことを夫は初めて聞いたに違いない。 30年近く一緒に居て、初めて聞いた、という感じだったのではないだろうか?違っているかも知れないが・・?

 

聖書には、「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2:24)と記され、エバが身ごもってカインを産む前には、「アダムは妻エバを知った」(創世記4:1)と記されている。

「知る」という言葉は聖書ではとても重要な言葉だと思うが、男と女がお互いを知るというのは、その一瞬で起こることではないだろう。

聖書はまた「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」(ペテロの第二の手紙3:8)と語っているが、罪に堕ちた私たち人間にとってはお互いを知るためには人生をかける必要があるのだと思わされる。

私の母のように夫の暴力から自分と娘を守るために逃げなければならないというような場合は別として、男と女が(最近は男と男が、あるいは女と女がという場合もあると思うが、いずれにせよ)、お互いを知るためには生涯をかける必要があるのだと私は思う。

そしてそのためには、キリストに伴っていただくということが必要なのだ、罪に堕ちて、愛することも知ることも難しくなってしまった私たち人間には。

 

ガルシア・マルケスが『コレラの時代の愛』で描き出しているのはそういうことである。