死と同じくらいに自分ではどうすることも出来なかったーマルケス断章

お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。(ホセア書6:4)

ドストエフスキーが愛せないと苦しんだ時、そこには死が立ちはだかっていただろう。けれど、私が愛せないと苦しんだのは、そんな高尚なものではなかった。

 

振り返ると、すぐ目の前に氷のような眼、蒼白の顔、恐怖で引きつった唇が見えた。深夜ミサの人ごみの中ではじめてそばで彼を見たときと変わっていなかったが、あのときと違って心の震えるような愛情ではなく、底知れない失望を感じた。(ガルシア・マルケスコレラの時代の愛』)

 

自分には愛がないと気付いたのは、中三の秋だった。自ら告白してつき合いだした人の、顔を見るのも嫌になったのだ、半年も経たないうちに。

何があったというわけでもない。例えば夏休みに、京都に哲学の道というのがあると言って出かけ、旅先から毎日葉書を送って寄こす。部活でテニスに明け暮れている私に、(いつもはバカにしているように思えるかも知れないけれど、部活に打ち込んでいる姿に)本当は憧れているんです、等と書いて。

私は小学生の頃からスポーツ根性ドラマは大っ嫌いだったのだ。人に合わせて集団行動するのも嫌いだったのだ。その私に向かって、まるで私がスポーツ根性ドラマの主人公ででもあるかのように、「憧れている」だって?一気に冷めた。

そうして私は、本ばかり読んでないで受験勉強しろと父親に言われたからと言って私の所に持って来た愛読書を、小包で送り返した。

 

死なんて全く立ちはだかっていない。

けれど、死と同じくらいに、この自分の感情はどうすることも出来なかった。

 

それから私は秘かに苦しんできた。ある人は、良い歳になっても結婚出来ない私に向かって、「あなたのお母さんがお父さんと縁を切ったから、あなたは縁遠いのよ」と言ったが、母のせいじゃないだろう。夫の暴力から自分と娘を守るために縁を切ることがそんなに悪いことか!と言いたかったが、何も言わなかった。これは私自身の罪だ。ずっとそう思っていた。

私の育った環境を知る人は、私がキリスト教に向かったのは、淋しかったからだと思うかも知れない。愛を求めて行ったのだ、と。母でさえそう思っている風だった。愛を求めて行ったかも知れないが、愛されることを求めて行ったのではない。

私は、愛したかったのだ。しかしここに、死は立ちはだかってはいない。

 

ガルシア・マルケスの場合は、死から始まっていただろう。初めに「死」というものを見つめていた。

『青い犬の目』の「訳者あとがき」で、井上義一氏は「おそらく若いころのマルケスは死を切実に考え詰めていたのだろう」に続けて、「その一方で個人の生については、遺伝という鎖に結ばれて、遠い過去の先祖とつながっているのだという認識がところどころに表れている」と記している。

しかし私は、この短編集で死んだ者達を様々に登場させながら、マルケスは、死んだ者達が形を変えて今も存在するという自らの結論に納得できていなかったのではないか、と思う。

 

私が読んだマルケスの作品は3作のみなのではっきり言い切ることは出来ないが、『青い犬の目』から『百年の孤独』に至るまでの間に、マルケスは、「死を超えさせる」のは「愛」だと気付いたのではないかと思う。しかし、その愛というものが、見回しても、周りに見当たらない。そしてもちろんマルケス自身の中にも・・。

 

百年の孤独ガルシア・マルケスが描いているのは、一言で言うならば、「どこに愛があるというのか!」であろう。