ガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』ーマルケス断章

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「わたしがお前をどれほど愛していたか、神様だけがご存じだ」(ガルシア・マルケスコレラの時代の愛』)



本を読んで涙を流したことはこれまでにもあったが、本を抱きしめたいと思ったことはなかった。

 台所で夕食のスープの味見をしていたフェルミーナ・ダーサの耳に、パニック状態になったディグナ・パルドの叫び声と使用人たちの騒ぎ立てる声、続いて近所の人たちの大騒ぎする声が聞こえてきた。彼女は味見に使っていたスプーンを放り出すと、マンゴーの木の茂みで何があったのかまだ分かっていなかったが、狂ったように叫び声を上げながら、年相応に肉のついた身体で精一杯走った。泥の上に仰向けになって死んだように横たわっている夫の姿を見て、心臓が張り裂けそうになった。博士は妻がやってくるまでの間、死の最後の一撃に耐えた。人々が大騒ぎする中、彼女と別れて一人死んでいくのだと考えて、ふたたび繰り返されることのない悲しみの涙に暮れながら、妻の姿をどうにか認めることができた。博士は妻をじっと見詰めた。彼女はこの半世紀間、夫とともに暮らしてきたが、これまで見たことがないほど強い光で輝いている彼のその目には、悲しみと感謝の思いが込められていた。博士は苦しい息の下からこう言った。

「わたしがお前をどれほど愛していたか、神様だけがご存じだ」(『コレラの時代の愛』p71~72)

 

 

そのときしみひとつないリネンのスーツを着たフベナル・ウルビーノ博士の姿が目に入った。職業的な厳しさと心をとろかすやさしさをたたえ、公的なものを愛してやまなかった博士が、過去から来た船の上から白い帽子をふって別れのあいさつをした。(p475)

 

ウルビーノ博士はこの本の主人公ではないのだが、この場面は本当に胸を打つ。それは、ウルビーノの言葉がマルケス自身の言葉だからだ。

ウルビーノ博士の死因が、逃げ出したオウムを捕まえようとして登った梯子から落ちたという笑える展開であるにもかかわらず・・。

 

 

あちこちの町では、コレラを追い払うために慈悲の空砲を撃ってくれ、彼らの船はもの悲しい汽笛を鳴らして謝意を表した。途中で行き交う船は、どの会社も哀悼の合図を送って寄こした。メルセーデスの生まれたマガングエの町で残りの航行に必要な薪を積み込んだ。(『コレラの時代の愛』p496)

 

妻に献げるというだけでなく、マルケスはこの本の中にさりげなく妻の名前も刻んでいる。

 

 

ーー君がこれまでに出会った中でもっとも驚くべき人物を挙げてくれないか?

 妻のメルセーデスだね。

 

P・A・メンドーサ=聞き手『グアバの香り ガルシア=マルケスとの対話』p176