『柄谷行人中上健次全対話』からドストエフスキーを考える

本屋で『柄谷行人中上健次全対話』という文庫本を見つけて買って帰り、後ろから前へとちらちら読んで、自分自身について分からないと思っていたことが一つ分かった!と思った。

私は子どもの頃から何故か周りから文学少女だと思われているようなところがあったのだが、小説とか有名な文学作品というものを実はほとんど読んでいない。夏目漱石を全く読んだことがないというのもどうなんだろうと思い、20代の初めに『草枕』を文庫本で買って持っていたのだが、1ページ目を開いてそこから進まなくてそのうち本自体がどこかへ行ってしまった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(新潮文庫)に至っては、娘が生まれてから読み聞かせて初めて、この本が短編の集まりだったということに気づいたのだった。

私の読書歴はそんな風に非常に貧しいものだったが、ドストエフスキーの『地下室の手記』だけは没頭して読んだ。そして江川卓の「あとがき」が気になって、もう少しドストエフスキーを読みたいと思いながら、働き始めると仕事に関係のあるもの以外は読めなくなり、そのまま時間だけが過ぎていったのだった。それから二十数年後、『カラマーゾフの兄弟』の新訳が光文社から出されて、「カラマーゾフ兄弟」のことで世の中が騒ぎ始めたために、3日ほど主婦業を放り出して没頭して読んだ。江川訳のものを探したが見当たらなかったので原卓也新潮文庫のもので読んだ。

その後すぐに、『罪と罰』も読もうと思い、訳を見比べ、江川卓の訳に魅せられ、目がストライキを起こしそうだと『カラマーゾフの兄弟』の時には選ばなかった岩波文庫の『罪と罰』の1巻を、これならすらすら読めそうだと思って買ってきた。けれど、買って手元に置いて、もう6年以上過ぎるというのに、未だに読めないでいる。それからずっと、どうしてだろうと考えていた。一般常識のような感じでいつの間にかあらすじのようなものを知ってしまっているからだろうか、と。しかし私はあらすじを知っていても読もうと思う時は読む人間なのだ。むしろ、ラストを確認してから読むことだっていくらでもあるのだ。そんなことを考え考えしている時に、柄谷行人中上健次全対話』を読んだ。そして分かった!と思った、何故罪と罰が読めないか。

抜粋してみる。以下は全て中上健次の語った言葉。

 つまり、もともと日本には物語しかなかった。文明開化といわれる明治期に、キリスト教と結びついた西欧種の近代がやって来て、キリスト教と重なるような形で入って来、その翻訳語としての文学、異物としての文学が、始まったんですよ。
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 だいたいからして、人間とか、愛とか、真理とか、真実とかの、さまざまなものはキリスト教の言葉なんですよ。読者もみな、キリスト教を受け入れる当時のブルジョアふうな階層だったと思うんですよ。たとえキリスト教などと無縁でも、小説読んだり文学を考えたりする者らは、キリスト教にいつ入っても不思議じゃなかったはずです。その時のその尻尾は、ずっと今もついてまわっていますね。
 作家も読者も、ブルジョアであり、知識人であり、自分たちは醒めているんだ、という考えがある。日本を、たんに遅れたもの、古いダメなものという具合に、たとえば大衆を見ていたと思うんです。大衆との乖離に悩んだりしたが、もともとそこに大衆などないのさ。連中は、キリスト教に入らないバカな偶像崇拝者というふうに、人を見ていただけなんですよ。
 小林秀雄と母上の話を見れば、それは、キリスト教信者と偶像崇拝者という構造なんですよ。文学主義の最たるものだと思うんです。真実はある。真理はある。それにさらに輪をかけ、真理が固着し、動かなくなってくる。
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 文学主義者たちは、物語をとりあえず隠蔽させようと、言文一致をやったりしたのですが、いかんせんここに来てボロを見せはじめた。キリスト教的であり、ヨーロッパ的でありすぎて、信じるものは救われるという歌しか詠えないような状態になってきた。(『柄谷行人中上健次全対話』(講談社文芸文庫)より引用)

 

私が分かったと思ったのは、つまり、罪と罰は、「真理はここにある」、「信じるものは救われる」という大前提の元に書かれた文学に違いないと直感していたということだった。だから私は読み進む気になれなかったのだ。私の直感は「お前は今の所ドストエフスキーはこれ以上読まなくていいよ」と言っていたのだ。

けれど、『地下室の手記』や『カラマーゾフの兄弟』は違うと思う。そういった大前提の元に書かれてはいないのだ。そこから考えて、私はここで、中上健次が見落としている視点が一つあると思う。それは、キリスト教的文学と、信じること(本来のキリスト教)を描いた文学とは違うという点、それに付随してキリスト教的文学と本来の文学は違うのではないかという視点である。

この後、中上は続けて以下のように語っている。

 つまり、ぼくが言っているのは、一神教としての文学と物語との交通はありますが、それを一神教としての文学のほうに加担するのではなく、多神教的に、文学を排して物語を探し、さらにその物語を迎え撃とうということです。(『柄谷行人中上健次全対話』(講談社文芸文庫)より引用)

本来の文学には一神教多神教もないのではないかと私は思う。一神教文化と多神教文化の違いはあるとは思うが。日本は多神教文化であり母性原理を土壌にしているから、何をやっても許されると思い込んでいる政治家達が近頃また跋扈してきているのである。一方、一神教文化においては、国家を神としたり、一人の人間をヒーロー(救い主)としてまつりあげようとする傾向が強くあらわれやすいというのはあるだろう。しかし、人の頭の中で考えられたものという意味では、一神教多神教も違いはない。人の頭の中で創られた神は壊されなければならないのである。C・S・ルイスも、ナルニア国の中で構築した神の国を最愛の妻の死と共に打ち壊さなくてはならなかった。最晩年のルイスの『悲しみをみつめて』の中には神に向けての激しい精神の苦闘が記されている。以下引用。

 宗教の真理について話そうというのなら、わたしはよろこんで耳傾けよう。宗教の義務について話そうというのなら、わたしはおとなしく耳傾けもしよう。けれども、宗教の慰めなどということは話してくれるな。さもないと、わからぬおひとだと、わたしは思うことだろう。
 すっかりこの世の姿で描き出した、「彼の岸での」家族再会などという、たわごといっさいを、それはもう文字通り信じることができないかぎり、そう思うほかはない。
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わたしの「神」の観念は神聖なる観念ではない。それはくり返し打ちこわさねばならない。神は神自身それを打ちこわす。神はおおいなる偶像破壊者である。この破壊こそ神の存在のしるしの一つだと、ほとんどそう言えぬであろうか。「受肉」はその至上の実例だし、救い主の従来の観念すべてを打ちこわしてしまうのだ。そしてその偶像破壊に「きげんをそこねる」人がほとんどだが、・・。
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 そしてこのところずっと、またもや紙牌(トランプ)の家を建てているのかもしれないのだ。そしてもしそうなら、神はその建物をまたもや叩きつぶすだろう。神はそれを、必要となれば何度でも叩きのめすだろう。
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 神に会うよろこび。死者との再会。こういうものは、わたしの思考の中では模造貨幣の形でしか現れない。いくらでも金額の書きこめる小切手なのだ。第一のことがらについての、わたしのーそれが観念と呼べるならー観念は、ここ地上での、ごく僅かな短い経験を算定して、それをうんと拡大した、きわどい類推だ。おそらくその経験も、自分でおもうほどの価値もないものだろう。
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わたしたちの理解はおよばない。あるいはもっともよきものは、わたしたちのもっとも理解のおよばないものなのだ。
     (C・S・ルイス=著『悲しみをみつめて』(新教出版社)より抜粋引用)

 

 

キリスト教の中に「真実」はある、「真理」はあるのである。けれど、「真理」や「真実」があったとしても、それを信じて、どこまでも追い求めて生きるというのは並大抵のことではないということなのだ。人は自分の都合の良いように神を創り上げてしまう生き物だからである。『カラマーゾフの兄弟』の中でドストエフスキーは、主人公のアリョーシャに頭の中で創り上げたこの神の死に直面させているのである。

ゾシマの死後、アリョーシャが庵室を出て表階段を下りたところで大地に伏し大地に接吻するシーンがある。ここの場面から、ドストエフスキーはロシアの大地への信仰、民衆の信仰へと回帰したと捉える人もいるかも知れない。一神教の神が死んで、多神教の地の神へと回帰したのだと。が、その後のアリョーシャの言葉を見れば、それは違っていると私は思う。この場面の後に次のように語るアリョーシャの言葉が出てくる。

「だれかがあのとき、僕の魂を訪れたのです」後日、彼は自分の言葉への固い信念をこめて、こう語るのだった・・・
 三日後、彼は修道院を出たが、それは「俗世にしばらく暮すがよい」と命じた亡き長老の言葉にもかなうものであった。(原卓也=訳『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫)より引用)

この「訪れただれか」とはキリスト以外には考えられないのであるから・・。そう考えるのは、ドストエフスキーが精読していたと言われる聖書に次のような言葉があるからである。

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。(ガラテヤの信徒への手紙2:20)

ドストエフスキー論」というものを読んだことがないので、こんなことはすでにどなたかが言っておられるのかも知れないが・・。

又、『カラマーゾフの兄弟』はカトリックロシア正教の違いを知らなければ理解できないというようなことも耳にしたりもするが、もしそうであるなら、カトリックにもロシア正教にも全く興味のない私は最後まで読めなかっただろうと思う。つまりそんなことは私にとってはどうでも良いことだからだ。カトリックだろうがロシア正教だろうが、一神教だろうが多神教だろうが。
そして又、『カラマーゾフの兄弟』は未完であり、ドストエフスキーが本当に書きたかったのはこの続きだというふうなことも聞く。しかし私には、この続きは必要なかったのだと思われる。だからドストエフスキーは二部を書く前に死んだのである。完成したと思った偶像を神によって叩き壊される前に。

 

では最後に、私はどうしてカラマーゾフの兄弟は没頭して読むことができたのだろうか。それは、この小説の中から、「愛せない!愛せない!」という無数の叫びが溢れ出していたからなのだ。否!「愛したい!愛したい!」という無数の叫びが。それはドストエフスキーの叫びであり、私自身の叫びであった。

 

つけ足しのようだが、中上の発した言葉の中に同郷人としてちょっと誇りに思えるところがあった。

「被差別者は差別者なんだ・・。彼らは差別するんだよ」(『柄谷行人中上健次全対話』)被る側の観点だけで物事を捉えたのでは片手落ちというものだ。しかし、被る側の立場にあってこのように発することができるというのは、やはり凄いと言わざるを得ない。